Aloha\m/
今日は昨日のお話の続きとなる "フラ禁止令" のお話☆
昨日は "フラ" とは、というお話をさせて頂きましたが、今日はそこからの "フラ" のその後の流れのお話です。
みなさんも耳にしたことがあるであろう "クック船長" ことジェームズ クック がハワイの "カウアイ島" に上陸したのが1779年。世界では産業革命などが起こっていた時代です。ハワイはサンドイッチ諸島と呼ばれていましたが、そのハワイも世界貿易の大切な拠点となっていきました。その頃に "ハワイ王朝" も確立されました(* ̄ー ̄)
自然に神々が宿るとしていたハワイを、キリスト教のアメリカから来た宣教師たちは、キリスト教を脅かすとして、カメハメハ2世に禁止令を出させました(´д`|||)
その為、"フラ" や "サーフィン" や "伝統文化" までもが50年に渡り姿を消しました。
50年。。。よくぞそこで消えてしまわずに復活してくれたものだ!!"フラ" は自然崇拝ということ、そして淫らなものとして禁止されたんだそう。
カメハメハ3世の時代になると、ハワイ語がアルファベットで表されるようなり、今まで "フラ" や口承してきたものは活字として印刷などされるようになっていきました。
現在ハワイの首都はみなさんよくご存知の "オアフ島" の "ホノルル" ですが、それ以前は "マウイ島" の "ラハイナ" だったのですよ♪今の "ホノルル" が首都になったのがこの頃です。
"グレートマヘレ法" という法案が1848年に成立したことで、ハワイアンの土地を白人が入手することが可能になっていきました。
1893年にはついに!!ハワイ王朝が終わりを迎えます( ノД`)… "リリウオカラニ女王" がアメリカの勢力に圧された為でした。
それからハワイはアメリカの準州となり、元々いたハワイアンたちは行き場を失ったのだそう(泣)一説によると自分がハワイアンとわからないように名前を変えたり、ハワイ語を封印していたのだそうです。歴史だから何とも言えないけれども。。。かわいそう( TДT)
"フラ" も誰にも見向きされることもなく、ごくごく一部のハワイアンたちの間でのみ守られていました。
とても陽気なリゾートアイランドで、暗さの欠片もないように思える "ハワイ" にも、辛く悲しい過去があったと思うと少し心がチクチクしてしまいますね(._.)
これからも大好きなこの "フラ" をもっともっと大事にしよう!!と思えます(*´ω`*)
次回はここからまた "フラ" がどうなっていったのかをお話ししたいなと思います♪
歴史の話はどうしてもお勉強感が強くなってしまうけれども、もう少しお付き合いして頂けると嬉しいな(*´-`)
それでは今日はこのへんで☆
A hui hou\m/